いじめは受ける側によって変わる
ども!よしパパです。
今日のテーマは
『いじめは受ける側によって変わる』
です。
まず自分がいじめられていると自覚がある人が読んでいたら
逃げ道を見つけてください
四面楚歌なんて言葉がありますが、
地下に潜れば逃げられます。かならず逃げ道はある。戦わなくていい。逃げたっていいんです。
僕は決していじめっ子ようごをしようというんじゃないのです。
僕は、小学校と中学校で軽いいじめを受けていました。
小学校の時は学校の先生にくちが臭いと言われ
プールの授業中に洋服を便器に投げ入れられたりしました。
中学校の時は頭から墨汁をかけられたり、顔に唾を吐きかけられたり、腐った牛乳を頭からかけられたりしました。ヤンキーの先輩20人に囲まれて、頭を坊主にされたこともありましたね。
でも不思議なことがあります
いじめられていると自覚したのははるか後の社会人になってからでした。みんなに驚かれます。
話は飛びますが
挨拶したのに無視された怒る人がいます
ナンセンスだなと思います。
聞こえていなければ意味ないのです。
つまり相手がどう受け取ったかによります。
いじめもこれに似ています
いじめ、いじわる、可愛がり、いじり
世の中には似たような言葉、言い回しが違うだけのことばが溢れかえっています。
これは受け取り側によってのみ意味合いを変えることが出来ます。
可愛がってると思っても、いじめられていると感じられればいじめな訳です。
(僕は中学のころいじられてると認識していました)
問題は二つあると僕は見ています。
①距離感を間違えたコミュニケーション
②やられる側に対する対処方教育がない
AさんとBさんに同じことをしても、片側はいじめ、もう片側はいじりになります。こう言った洞察力低下も、いじめ問題が噴出する原因かと思います。
まとめ
僕がなにをいいたいかというと、いじめられる側に問題があるという話では当然ありません。あなたが、いじめてると思ってなくてもそう思う人もいる。逆にいじめられてると自覚があるなら、一瞬いじられてると思いましょう。。
ちょっと楽になりますよ